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博士の愛した数式 - 感想とあらすじ (小川洋子/新潮文庫)

【感想】博士の愛した数式 小川洋子 ~人生の公式はゼロの調和の中に~

今回は「博士の愛した数式 (小川洋子/新潮文庫)」の感想とあらすじを紹介したい。
僕が本作に出会ったのは、四年ほどまえのことだ。その頃にはすでに小川洋子のファンだった。

本作は小川洋子作品の中でもハートフルで穏やかな作品なのだが、それでもやはり、まごうことのない小川洋子作品なのだった。

 

目次

小川洋子について

岡山県岡山市中区森下町出身。兵庫県芦屋市在住。既婚で長男がいる。旧姓は本郷。祖父は金光教の教師であり、両親とも金光教の信者という家庭で育つ。父親は国家公務員。生家も教会の敷地内の離れだった。教会では祖父母、伯父伯母。従兄らが暮らしていた。
小さいころ納戸にあった『家庭医学大事典』が最初の読書で、病気の説明や内臓の図を見る。小学1、2年からオレンジ色の表紙の『世界少年少女文学全集』を愛読する。小学校から図書室をよく利用する。また、こたつの中で空想にふける癖があり、高じて小説を書くようになったと述懐している

小川洋子 - Wikipedia


ここで少しキーワードごとに説明しておきたい。

金光教の信者

小川洋子の小説を読むと、残酷な話であっても、登場人物や人間を暖かく包む愛情を感じる。それが幼少期に培った宗教的な信心に裏打ちされているがためか、芯のある深い愛情といった感じがする。

また、非常に読みやすい文体は、第一の愛情が読者に向いていることの証明だ。特殊な世界や専門的な世界を描く場合でも、いつも読者の近くに立って、手を握って歩いてくれる安心感がある。

家庭医学大事典

純文学作家でありながら、本作のように自然科学や数学などの、「検証可能な理系の世界」を描く傾向がある。また、特定の職業を貫く人や、特定の信条を貫く人を描く作品が多い。(薬指の標本では、標本師。猫を抱いて像と泳ぐ、ではチェスプレーヤー。その他短編でも)

こたつの中で空想にふける癖

小川洋子は空想の得意な作家である。それも、驚異的な空想家である。特異なイメージを喚起させる描写を、独自のテクニックとして活用している。一歩踏み込んだ妄想というか、ユング心理学でいう能動的連想というか、まあこれは後ほど説明しようと思う。

登場人物

  • 博士:事故のせいで80分しか記憶の持たない、元数学の大学教授。阪神タイガースと数学が大好き。
  • 私:家政婦事務所から派遣された28歳のシングルマザー。高校生のときにルートを身ごもった。
  • ルート:頭が数学の√のようだったため、博士にそう呼ばれるようになる、小学5年生。
  • 未亡人:博士の義理の姉。

あらすじ

私は家政婦事務所より派遣され、博士が独居する家へ赴く。博士は生活の全てが数学づくめだった。初対面のときも、こんな具合だ。

「君の靴のサイズはいくつかね」
「24です」
「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」
「カイジョウとはなんでしょうか
「1から4までの自然数を全部掛け合わせると24になる」

そんな博士は、友愛数という不思議な数学理論で、私と博士が結びつけられることを教えてくれた。

博士は私の息子のルートを心配し、一緒に連れてきて、食事を摂らせるように言う。
そんな経緯で、私とルートと博士の奇妙で穏やかな日々がはじまった。

ある日、博士を連れて阪神タイガースの応援に行くのだが、帰り着いた矢先、博士は熱を出して寝込んでしまう。
私は博士の家に泊まって看病するのだが、未亡人より苦情が入り、派遣先を替えられることになった。

後日、ルートは何気なく博士の家に遊びに行くのだが、そのことが原因で私と未亡人は喧嘩になる。
そんなとき、困った様子のルートを見かねたのか、博士は「いかん。子供をいじめてはいかん」と、テーブルにある公式の書かれたメモを置いた。
調べてみると、それはオイラーの公式というものだった。
不思議なオイラーの公式は私たちの争いを吹き飛ばし、なお深い秘密のあるような雰囲気があった。

やがてルートの誕生日がやってきた。
パーティの夜、博士は手を滑らせてルートの誕生日ケーキをつぶしてしまい、この上なく落胆する。
私には、その事件が重い意味を持っているように思えた。
ルートの誕生日パーティの数日後、博士の記憶は1分ともたない状態となってしまい、入院生活を送ることになった。
未亡人や私やルートは、ときおり病院にいる博士の様子を見に行った。

それから長い時を経たのち、私はルートを連れて病院に行って伝えた。

「ルートは中学校の教員採用試験に合格したんです。来年の春から、数学の先生です」

すると博士は立ち上がり、ルートを抱くのであった。

友愛数がつなぐ心

博士は身の周りのものに対して、数学によって心を近づけていった。「私」もそんな博士の考え方に、少しずつ馴染んでいった。

本作のはじめの第一章に登場する「友愛数」は、博士と「私」の心を親愛の情でむすぶとともに、作品全体のテーマを象徴するものだ。

友愛数とは、『約数の和が相互に一致する数字の組』だ。本作では、「私の誕生日である2月20日=220」と「博士の大切な腕時計の裏に刻印された文字 ”学長賞 No.284”=284」の二つの数字が、友愛数として登場した。

まず「220」の、自分自身以外の約数を羅列してみる。

220:1 2 4 5 10 11 20 22 44 55 110

次に「284」の、自分自身以外の約数を羅列してみる。

284:1 2 4 71 142

最後に、この二つの数列の和を出す。

220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
284
:1+2+4+71+142=220

こうすると、二つの数字の約数の和が、お互いの数字になることがわかる。

この「友愛数」の希少さを、博士はこう表現している。

「正解だ。見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。滅多に存在しない組み合わせだよ。フェルマーだって、デカルトだって、一組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ。美しいと思わないかい? 君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて」

博士と未亡人の関係

未亡人は博士の兄の妻であるため、博士とは義姉、義弟の関係にある。
そのはずなのだが、本作を読んでいくと、二人の関係がより親密であることがわかってくる。
まず、本作で少しずつ語られる過去の話を時系列にすると、以下のようなものになる。

  • 1957年 この年の日付が入ったアルティン予想の論文を私が見つける。博士が29歳のときのものだ。(在学後期か)
  • 1957年の数年後 博士の兄が病死
  • 1975年 博士が47歳のとき、事故に遭遇し、記憶の障害を負う
  • 1992年 作中の現在。博士は64歳

また、作中後半の10章で、「私」はアルティン予想の論文の間から、一葉の写真を見つける。
そこには、親しげな様子の博士と未亡人が写っていた。さらに論文にはこんな言葉が手書きされていた。

~永遠に愛するNへ捧ぐ あなたが忘れてはならないものより~

これらの記述を頼りに、例えば僕は、以下のようなストーリーを考えてみた。
『Nとは博士のことである。博士は兄の死後、未亡人と愛し合うようになった。博士が障害を負ってから、未亡人は博士が大切にしている論文に愛の言葉を記し、写真を添えた。(その論文がいつ、どのように博士へ渡されたのか、などは不明だが・・・)』
もしそうだとすれば、未亡人は、日々衰えてゆく恋人を見届けながら、苦しい思いを抱いていたに違いない。
作中の後半で言った、未亡人の言葉にその片鱗と矜持がうかがえる。

「私がおります。義弟は、あなたを覚えることは一生できません。けれど私のことは、一生忘れません」

オイラーの公式とは、博士が愛する静けさ

「私」と未亡人が言い争う場面で、博士はオイラーの公式が書かれたメモをテーブルに置いて、立ち去った。
また、オイラーの公式は作中を通して、「私」を魅了し続け、また考えさせるものだった。

eπi + 1 = 0

これがオイラーの公式なのだが、まずはごく簡単に説明したい。

  • e 自然対数の底で、2.7182....と、無限に循環する数列
  • π 円周率3.14
  • i -1の平方根であり、虚数と呼ばれる、概念上に存在する数値

また、「私」はオイラーの公式を以下のように表現する。

私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。
 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗闇の洞窟に刻まれた詩の一行だった。

このように、「私」はオイラーの公式の中に、『人智の及ばぬ神の定めたような働きによって、混乱していた世界に0という調和が、突如としてもたらされる』という感覚を抱くのだ。
本作の中では、「私」「ルート」「未亡人」「博士」それぞれがまるで、1が足される前のオイラーの公式のような混乱ぶりではないか。その1をもたらすのは、人間の知恵であり、愛情であると、博士は言いたかったのではないか。

一方、博士はこんなことも言っている。

「しかし0が驚異的なのは、記号や基準だけではなく、正真正銘の数である、という点なのだ。最小の自然数1より、1だけ小さい数、それが0だ。0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。さあ、思い浮かべてごらん。梢に小鳥が一羽とまっている。澄んだ声でさえずる鳥だ。くちばしは愛らしく、羽にはきれいな模様がある。思わず見惚れて、ふっと息をした瞬間、小鳥は飛び去る。もはや梢には影さえ残っていない。ただ枯れ葉が揺れているだけだ」

博士は心の中でいつも、オイラーの公式のような静けさを求め、数学に向き合っている。
オイラーの公式は本作のストーリーそのものであり、博士が指向する人生観でもある気がする。
すなわち、「博士の愛した数式=人智の及ばぬ縁や心の皮肉さを現すオイラーの公式」だと考えられるのではないだろうか。

小川洋子の想像力

マイナス1の平方根すなわちiに関する一節を引用して、簡潔に述べたい。

「そんな数はないんじゃないでしょうか」
 慎重に私は口を開いた。
「いいや、ここにあるよ」
 彼は自分の胸を指差した。
「とても遠慮深い数字だからね、目につく所には姿を現さないけれど、ちゃんと我々の心の中にあって、その小さな両手で世界を支えているのだ」
 私たちは再び沈黙し、どこか知らない遠い場所で、精一杯両手をのばしているらしいマイナス1の平方根の様子に思いを巡らせた。

例えばこの一節では、聞き慣れない数学の用語に対して、非常に多感な、異常とさえも呼べるイメージの展開をしている、その結果、「マイナス1の平方根」などという本来無機質な定数に対して、けなげな地球の守護者のような役割を与えてしまっている。

本作の他の場所にもイメージ性の豊かな表現が見られるし、他の作品でも、こうした描写が作品を彩っている。

生きるとは、自分の物語をつくること

ここで、「新潮文庫 生きるとは、自分の物語をつくること(小川洋子 河合隼雄 共著)」という書籍を紹介したい。
この対談書で、「博士の愛した数式」についても触れられている。
河合隼雄とは、国内随一のユング心理学者で、文化庁長官などに就いたことのある人物だった。
「生きるとは、自分の物語をつくること」では、二人の創作を巡る闊達な対話を通じて、現代人の心理や人生観や宗教観について述べられている。
「博士の愛した数式」についての裏話などが書かれており、「ルートくんの担った深い意味」や「それぞれのキャラクターに対する考察」に関する話が特に面白かった。興味があれば、ぜひ読んでいただきたい。
(両者のファンである僕にとっては、まさに神対談なわけだけが)

まとめ

今回紹介した「博士の愛した数式」は、とても読みやすく、いい意味で安心して読める小説だ。(読書感想文の課題図書にも指定されているようだし)
それでいて、芥川賞作家ならではの毒が隠されており、深く読めばまた、これ以上ない文学性のある小説であると思う。
強いて言えば、小川洋子の他作品で、もっと僕が愛するものがあるのだが、それでも今回は改めて本作を読むことができて、やっぱりこれはこれでいいな、と思えたのであった。おわり。




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