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ユング心理学入門(河合隼雄著)【第四章 心像と象徴】

ユング心理学入門(河合隼雄著)【第四章 心像と象徴】

ユング心理学入門(河合隼雄著)を熟読してみる - 648 blog

というわけで、「<心理療法>コレクションⅠ ユング心理学入門(河合隼雄著)」の「第四章 心像と象徴」を読んでみた。

本章で僕が理解したことを、可能な限り詳述したい。

 

 

 心像と象徴について

人間の無意識の奥には、太母や影などの元型があるのだが、人間は元型そのものを知覚することはできない。
しかし、意識と無意識の相互影響から生まれる心像を読み解けば、元型に近づくことができる。
また、心像には様々な意識の状態が象徴されている。

心像とは

簡単に述べると、日頃僕らが心に思い浮かべる、映像などのイメージのことだ。
ある人間だったり、ある景色だったり、あるいは非常に抽象的な、複合的なものの場合もある。
音や匂いかも知れないし、触覚に関わるものかも知れない。
そういった様々なイメージそのものが心像なのだ。

心像の具象性

心像が具象的(一見矛盾したものが、はっきりと並び立てられ、明確なイメージを持っている)であるがために、表面的に捉えると僕らは混乱させられる。このことについて説明したい。
人間がなにかを考えるときは、様々な概念を組み合わせて思考する。
例えば「昨日の夕飯」について考えると、僕の場合は、「妻の顔」「ご飯の匂い」「カレーの褐色」「ディナーテーブル」「食卓の傷」「ぬくもり」「満足感」などが思い浮かぶ。
しかしこれらは、かなり理性的な、概念レベルの規則による連想だ。
他にも「動物」という言葉に対して、「狼」「ライオン」「犬」「キリン」「豹」「猫」などを思い浮かべることができるが、これらも概念レベルの連想だ。
一方、僕らの無意識には、別の秩序がある。
無意識の秩序のもとでは、一見不条理な結びつけがなされるのだ。

しかも、ユング心理学においては、「ある理性的な概念には、必ずなんらかの心像が背景で紐付いている」とされている。そのため、日常生活の全てにおいて、僕らは心像の影響から逃れることはできない。
となると、前述の「動物」にカテゴライズされる、「狼」「ライオン」「犬」「キリン」「豹」「猫」などの言葉も、仮に母親の心像と父親の心像に当てはめると、以下のように結びついているかも知れない。

  • 母親の心像:「キリン」「豹」「猫」
  • 父親の心像:「狼」「ライオン」「犬」

(母親の心像には母性的なイメージの動物が。父親の心像には父性的なイメージの動物が紐付くと仮定)

さらに、「昨日の夕飯」で連想される言葉を合わせてみると、以下のようになるかも知れない。

  • 母親の心像:「キリン」「豹」「猫」「妻の顔」「ご飯の匂い」「ぬくもり」
  • 父親の心像:「狼」「ライオン」「犬」「カレーの褐色」「ディナーテーブル」「食卓の傷」「満足感」

こうなると、なかなか複雑になってくる。
逆に言えば、例えば僕がふと父親のネガティブなイメージを思い浮かべるとき、場合によっては、「満足感」や「ディナーテーブル」について問題を抱えている場合があるかも知れない。
しかしながら、そうした複数の意味が詰め込まれた「父親の心像」だけが強く表面化してくるものだから、その具象性に混乱させられることが多々あるのだ。

心像の集約性

ある心像はさまざま概念を集約している。
前述の「父親の心像」の例でいくと、「狼」「ライオン」「犬」「カレーの褐色」「ディナーテーブル」「食卓の傷」「満足感」といった概念に紐付いているのだが、これらひとつひとつの言葉は、深い理由と意味があって紐付いていることが多い。
狼に対する恐れ。ライオンに対する尊敬。犬に対する親しみ。カレーを作ってくれた記憶。ディナーテーブルを一緒に造った記憶。
そんな関連が背後にあり、それらの感情を代表するものとして、「父親の心像」が存在することになる。
また、場合によっては、父親を思わせる人物と話しをするだけで、僕は狼に対する恐れやライオンに対する尊敬と同じ感情を抱くかも知れない。ディナーテーブルを思い出すかも知れない。
このように、心像は感情やイメージを集約していると言える。

心像の直接性

ある心像は非常に力強く、直接的に働きかけてくる。
例えば、僕が対人恐怖症を克服した話をしよう。(いや、克服できた、と明言はしづらいが)

かつて、僕は今よりも、おどおどとした臆病な性格をしていた。
自分自身でも、勇気がないことに気づいているが、それを改善する手がかりがなかった。
そんなある日、父親が力強く演説している夢をみた。選挙カーか何かに乗って、一生懸命にわめいているのだ。
しばらくは意味が分からなかったが、二度目に同じ夢を見たときに、なんとなく、「父親に負けないくらい、強い意思を持った人間にならないと」などと思うようになった。(実際はそこまで明確なものではなかったが)
「選挙カーに乗った力強い父親のイメージ」は強く心に残り、その導きもあってか、僕は徐々に社会性を得ていった。
理屈では「勇気がないから勇気を得なければ」と分かっていても、なかなか実現することは難しい。
しかし心像はときに、目標を明確に示してくれたり、芸術的な表現や生きるヒントを力強く示してくれる。

このように心像には具象性、具体性があり、創造力の源になるエネルギーがある。
また、創造物を見ることで、人間を知ることもできる。

象徴と記号の違い

ユングは、象徴を記号または標識とかたく区別して考えた。彼によれば、一つの表現がある既知のものを代用し、あるいは略称している場合、それは象徴ではなく、記号である。これに対して象徴はたんなる既知のものの代用などではなく、ある比較的未知なものを表現しようとして生じた最良のもの、その他にはこれ以上適切な表現法が考えられないという場合である。

このように書かれている。
記号とは意識的かつ明快な代用物であるのに対し、象徴は未知なものの可能性を表現する手段だというのだ。

十字架と象徴

本作での例として、十字架についての説明がある。
十字架を神の愛だとするのは記号的な表現であり、一方、十字架をこれまでにない超越的な見方を表現するものと捉えれば象徴となる、ということである。
また、古代では十字架がさまざまな神秘的な意味を象徴していたと思われるが、現在ではキリスト教徒の記号になっている、とされている。

象徴の創造性

ある幼稚園児が描いた4枚の絵に、書いた時々の意識や無意識が反映されていた話が紹介されていた。
また、安定した状態から自己を破り、新たに統合してゆく過程が、絵の中に込められているというのだ。そこには、心像と象徴の働きが如実にあらわれている。
ちなみに児童の絵は、以下のような変遷を辿って統合されてゆく。

  1. さまざなモチーフが散在した、それでも比較的安定した構図。かたつむりが家の中にいる。
  2. 絵の中央に赤い山がある、破壊やエネルギーを感じさせる構図。かたつむりが外に飛び出ている。
  3. 分割された世界を俯瞰しようとするも、なかなか達成できないことが感じとれるような構図。
  4. 十字交差する川と道を俯瞰視点で描いた、幾何学的な安定した構図。
  5. 右に温かい家が、左に人間がおり、中央に伸びゆく樹木がある、統合された構図。樹木には子どもが重なっている。

以上のようになっている。
特に4の幾何学的な構図から、再び創造性を発揮した5の構図に至る流れは興味深く、一度消極的になった芸術家が、心像の象徴の力により才能を開花させるようでもある。
また、4で現れた俯瞰構図は、道と川によって図面がきれいに4ブロックに区切られていた。
これについて、

これは図面が四つに分割されているが、統合度の高い全体性を示すときに、四のテーマが生じることは非常に多い。

とも書かれている。

子どもの元型

前述の5の構図については、樹木に子どもが重なった、統合を感じさせるものだった。
このモチーフは、英雄の誕生であり、子どもの元型(child archetype)を意味しているとも考えられる。
また、子どもの象徴は様々な神話や童話に出現し、「新しい可能性の出現」を意味している。

象徴の形成

人間が自分を統合してゆくにあたり、場合によっては相反する「感情機能」「感覚機能」「思考機能」「直感機能」の4機能を体験していかなければならない。
また、その過程で機能同士の対立状況が発生し、思考停止状態になってしまう。
そうなると心的エネルギーが、自我から無意識への退行が起こる。
さらに退行現象が強くなり、当人が耐えられなくなると、本来の性格とは逆の行動を起こすようになる。
これを、相互反転(enantiodromia)呼ぶ。
しかし、この状況に耐えていると、様々な心理機能や意識や無意識の枠を超えた、象徴的な心像が現れることがある。
すると無意識に退行していたエネルギーは進行(progression)をはじめ、新たな力を得て活動が再開される。
この、「象徴を形成する力」のことを、超越的機能(transcendent function)として、ユング心理学では重視している。

宗教儀式と心的変容

本章において、象徴や宗教的儀式と心理療法の関わりを述べている言及があり、これらも興味深かった。

象徴の形成に伴って、今まで退行していた心的エネルギーが建設的な方向に向かうことを述べたが、ユングは、このような心的エネルギーの変容が、象徴や宗教の儀式によって生じることを指摘し、これらに高い心理療法的な意義を見出したのだ。

心像と象徴の心理療法における重要性に気づいたユングは、古い時代に見出され、以後死んだままになっていた宗教の儀式や象徴の意義を研究し、これらに新しい息吹を吹き込むと同時に、各個人の心のなかから生じる象徴の意義を認め、その研究にも専念してきたということができる。


なるほど。
僕らにとって古式ゆかしい宗教的な儀式というと、「季節折々のお祭り」「お盆の諸儀式」「結婚式」「葬式」などがあるだろうか。
現在では、古い様式や意義が薄れてきているように思う。
しかし本来は、人生の節目を乗り越え、新しい自分を形成するための、大事な意義を持っていたのだろう。

二つの具体例

本章の最後に、ふたつの具体例が挙げられていた。

  1. ある子どもが遊びの中で、熊のぬいぐるみの首をくくり、ある地点まできて、誇らしげに首のひもをほどいた。この行動は、近頃本当にあった、「迷い犬をしばらく飼ったものの、本当の飼い主が見つかったため、自ら返しにいった」という事実を再現していたものだった。それと同時に、その子ども自身が、徐々に過保護な状態を脱しつつあることを象徴していた。
  2. ある神経質でお金に厳しい女性が、ある従姉妹がお産をする話をはじめた。この従姉妹は、享楽的な性格をした女性だった。この話は、享楽的な性格だった従姉妹でも、子どもを産むといった創造的な可能性があることを意味するのと同時に、相談にきた女性自身が、解放的になろうとしていることを象徴しているようでもあった。

上記ふたつの例ではいずれも、「現実のできごとと、ナイーブな内的な変化を、重ねて象徴化し、自己の成長の土台にしている(心に基礎づけている)」と言えると思う。

心的な変容と成長

前者の子どもの例では、拾ってきた犬を返しにいくという行為の中に「残念さ」「思いやり」「誇らしさ」「見知らぬ他人の家」「犬のかわいらしさ」といった概念が集約的に結びついており、「犬を返しにいく」という心像がこの子どもにとって、とても重要なものとなっている。
「犬を返しにいく=残念さの記号」などでは決してなく、この子どもの人間性を深める、何ものにも置き換えることのできない、「成長の土台として心を基礎づける心像=象徴」になっているのではないだろうか。

まとめ

今回はユング心理学入門(河合隼雄著)の「第四章 心像と象徴」を解説した。
第四章を簡単にまとめれば、

「自己を理解して統合するために、意識と無意識を仲介する心像が重要になる。心像は様々な意識の状態が象徴化されている」

といったところか。
また、人間は無意識に、こういった象徴を心の中に基礎づけて、自己を成長させているとのことだった。(これをはまるで、さなぎの中で奇跡的な変容を遂げる蝶のようだ)
本章で説明された心像と象徴の概念は、これ以降の「夢分析」「アニマ・アニムス」「自己」を読み解くのに極めて重要な概念だ。
自分なりに十分に咀嚼して、読み進めていきたい。
それでは引き続き。

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