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般若心経だけじゃない! [華厳経]は斬新なアドベンチャー経典だった

般若心経だけじゃない! [華厳経]は斬新なアドベンチャー経典だった

冒険小説のようなアドベンチャー。思い立ったら即成仏斬新すぎる宇宙観
これらの教えがひとつの経典に収まっているのが驚きだ。
般若経もおもしろいが、華厳経も忘れてはならない。

 

般若経について

僕らの身の周りにある一般的な仏教宗派は、大乗仏教と呼ばれている。大乗仏教は複数の経典からなり、中でも般若経は中心的な位置づけにある。

華厳経について

華厳経は、大乗仏教を構成する経典(般若経、維摩経、法華経、華厳経、大無量寿経、涅槃経、梵網経、大日経)のひとつだ。

華厳経では、悟りの境地における宇宙観の描写と、そこに至るための修行方法や心構えが記されている。

『華厳経』は、数多い大乗仏教のうちでも、とくに大乗仏教の深い哲学思想を述べたものとして有名な経典です。この経典のくわしい名前は、『大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)』です。「方広」とは、偉大な教えという意味です。また、「華厳」ということばは、わが国では「華厳の滝」などと、よく知られています。「厳」という字は、きびしいというような意味で一般には使われていますが、仏典では「美しく飾る」という意味で使われます。したがって、「華厳」とは「いろとりどりの華によって厳(かざ)られたもの(雑華厳飾(ぞうげごんじき))」という意味で、すなわち「蓮華蔵世界」にほかならないと解されています。

【『華厳経』『楞伽経』 東京書籍 中村元著】より

それでは、華厳経に含まれるそれぞれの教えについて解説してゆく。

「一即他、他即一」斬新な関係性宇宙観

華厳経は縁起の思想を使って、極めて独特な宇宙観を形成している。

それは、「万物は本来ひとまとまりである。個々の区別はない」という概念だ。

簡単に説明すると、以下のような論法になっている。

  • この世の万物は縁起によって関連し合っている
  • たとえば、ある人間と石ころがあったとする。ふたつは一見別の個体のようであっても、偶発的に、人間が石につまづいて転ぶ可能性がある
  • 極論すると、万物はそれぞれ、絶対的に無関係とは言い切れない
  • 逆に言えば、万物はどこかで影響し合っている
  • 突き詰めれば、人や物や心や仏や宇宙、すべてが一体となっている
  • 空間だけではなく、時間的にも同様に、過去現在未来が一体となっている
  • しかしこの宇宙観は、悟りの境地でないと実感をもって観ずることはできない

上記が華厳経における宇宙観の概要だ。

またこのような、「あるひとつのものは全てと因縁がある。また、全てはあるひとつのものに因縁がある」という考え方を、「一即他、他即一」と表現している。

そういえば、この哲学はどことなく、スピノザの汎神論を思い出させる。

「唯心偈」創造力は人も仏も一緒

華厳経では、人間やその心の働きが現実世界を作っていると説いている。また、この教えは、唯心偈と呼ばれる詩句に書かれている。

心は巧みなる画師の如く、種々の五蘊を描き、一切の世界の中の法として作らざるなし。心の如く、佛もまた然なり。佛の如く衆生も然なり。心と佛と及び衆生とこの三は差別なし。諸佛は悉く了知せり。一切は心に従いて転ずと。もしよくかくの如くに解さば、かの人は真の佛を見るなり。

【大乗仏教入門 大蔵出版 勝又俊教、古田紹欽編】より 唯心偈の一節

つまり、

「人間の創造力は無限である。それと同様に仏の創造力も無限だ。環境や状況は全て心によって作られている」

ということだ。

人間は心のあり方次第でどのようにも環境を変えることができるし、それと同じく仏も、心によって世界を変えることができると述べているのだ。

しかも最終的には、「悟りの境地=涅槃に至ると、縁起がなくなるため、全ては幻となる」とされている。

ここに、「空」の教えの厳しさと無常さがある。

「初発心即正覚」思い立ったら即成仏

 華厳経では「初発心即正覚」という言葉があり、これは、「人間が華厳経を信じたその瞬間に、すでに成仏している」ということだ。

もっと詳しく説明すると、

なにかを真剣に志した人間は、どのような苦難を超えても目標を達成する。華厳経を信じるものは、必ず悟りに至るべく修行する。そのため、本当の信念を持つということは、すでにそれを実現したとみなせる」

ということだ。

これもある意味で、きっかけと結果の関係(縁起)における、「一即他、他即一」で説明できることだ。

「入法界品」悟りへ至る痛快アドベンチャー

入法界品とは、善財童子という主人公が様々な人と出会い、成長しながら悟りを目指すという物語を描いた経典だ。

『入法界品』(にゅうほっかいぼん)とは、大乗仏教経典『華厳経』の末尾に収録されている大部の経典(品)。サンスクリットの原題は『ガンダヴィユーハ・スートラ』(梵 : Gandavyūha Sūtra)。
スダナ少年[1](スダナ・クマーラ、善財童子)が、文殊菩薩に促されて悟りを求める旅に出発、53人の善知識(仏道の仲間・師)を訪ねて回り、最後に普賢菩薩の元で悟りを得る様が描かれる。
一説には、東海道五十三次の53の数字の由来は、この『入法界品』にあるとされる[2]。

入法界品 - Wikipedia

善財童子が教えを請う53人は、実にバリエーション豊かな人々だ。

それぞれの職業は、「バラモン」「外道者」「長者」「王様」「夜神」「僧侶」「女性」など、本当にさまざま。そんな彼らの元で、善財童子は成長を重ね、悟りを求めて旅を続ける。

これはまさしく、冒険小説、またはマンガにでもなりそうなアドベンチャーだ。

(僕は個人的に、パウロ・コエーリョのアルケミストという小説を思い出した。アルケミストでも、主人公は様々な経験をしながら、悟りの境地へ導かれていった)

まとめ

今回は大乗仏教の経典のひとつである、華厳経について解説した。

華厳経がとても興味深いものであることが、うまく伝えられただろうか?

興味をもってくれたようなら、ぜひ、専門書などを当たって欲しい。

また、ニーズがあるようであれば、もう少し仏教シリーズを続けたいと思う。

それではまた。




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