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初期の仏教経典『阿含経』がかなりおもしろかった

初期の仏教経典『阿含経』がかなりおもしろかった

『ブッダの入滅 現代語訳「阿含経」 青土社/三枝充悳』を読んだので、その感想を紹介したい。

初期仏教の経典である阿含経(あごんきょう)は、従来の仏教世界観を覆す、シンプルかつ非常におもしろいものだった。

『エスパー・ブッダ』『神々と仏と悪魔の共存』『師弟愛の物語』『骨の争奪戦』こんな物語が詰まった阿含経(の遊行経)をおすすめする。

 

 

目次

 

阿含経について

阿含経は数ある仏教経典の中で、最も初期の経典にあたる。

大きく分けて二種類が存在し、ひとつが中国に渡った漢語訳の阿含経、もうひとつが、より本来的である、パーリ語仏典の経蔵がある。

『阿含』とはパーリ語の『アーガマ』の音写で、伝承の集成といった意味がある。
また、阿含経の中にも多くの経典がある。

今回読んだ書籍は、この阿含経の中でも代表的なひとつである、『長阿含経』第二の経典『遊行経』をベースに現代語訳した書籍だ。

読んだ感想

今回の『ブッダの入滅』は、そのタイトル通り、ブッダが弟子のアーナンダと共に最後の旅をし、入滅に至るまでを取り上げていた。

読んだ感想としては、『感覚的にしっくりくる、民間信仰的な原初仏教の教え』という感じがした。

阿含経自体、ブッダの入滅後に100年ほどしてから弟子たちがまとめたものであり、そこからも改変されているため、全てを鵜呑みにはできない。

それでも近代に伝わる複雑な大乗仏教の教えに比べて、シンプルだった。 おもしろかった。 僕はこういう経典に触れたかったのだ。

おもしろかった所

正統的な解説は様々な専門サイトや書籍に任せるとして、僕の視点から、おもしろく感じたところをピックアップしたい。

アーナンダ

僕の好きな漫画に、『聖☆おにいさん』というものがあるが、その漫画にも登場する、ブッダの主要な弟子のひとりがアーナンダ。

遊行経においてアーナンダは、ブッダの付き人として、超体育会系な勢いで仕えている。

ブッダのセリフはたいてい、『アーナンダよ』からはじまる。

読中はこの師弟関係が心地よく、阿含経の世界の住人になりたい気分になってくる。

そう、この二人称の語りは、かなり中毒性がある。

アーナンダは死にゆくブッダから、『厳しいこと言ったけど、ほんとは、アーナンダのことは好きだったんだよ』的なことを聞く。このくだりは実に感動した。

泣ける経典第一位の座を捧げたい。

仏法僧を敬う

ブッダはアーナンダに、『仏、仏法、僧たちを敬い、その思想を広めよ』と教える。

現代ではありがたい教えのように思えるが、ブッダがいう仏(悟りを得た者)とは、ほぼイコール、ブッダ自身のことになる。

つまり、『このオレと、オレのルールと、オレの親衛隊を敬え』と言っているわけだ。
なんかまあ、すごい自信だなあ、と思った。

自己を灯明とせよ

アーナンダはブッダの入滅を嘆いていた。

死なないでくださいよ…師匠!
それに対してブッダは、自分の内面を見つめ、自分を依りどころとする大切さについて、こう説いた。

……それゆえ、アーナンダよ、必ず自己を燃えている燈りとし、法を燃えている燈りとすべきである。そのほかのものを燃えている燈りとしてはならない。必ず自己を依りどころとし、法を依りどころとすべきである……

P84

出た!
これがブッダ最期の教え、自灯明、法灯明の教えだ。

他に依存せず、自分で悩み、自分で歩み、自分が周りを照らす灯りでなければならない。
そうであれば、寂しくもない。

……しかし、アーナンダはそれでも寂しかった。

 

エスパー・ブッダ

ブッダはかなり色々なESPを使う。

  • ガンジス河を一瞬でワープして向こう岸へ行く
  • 天にひしめく神々を視認する
  • 生まれたときと入滅のときに大地震を起こす(というか、神々が驚いて地震を起こす)
  • 土地ごとの守護神をはっきりと見分ける
  • ナーディカ村の亡くなった人々500人を霊視し、輪廻の状況などを見透す
  • 悪魔(マーラ)と話をする。マーラたちも、ブッダを恐れてへりくだっている

阿含経=エスパーブッダが活躍するヒロイックファンタジーとして胸熱な作品だ。

仏と神々

今まで僕は、仏教の世界観だと、神様の扱いはどうなるんだと思っていた。

阿含経では、まずブッダに見守られて成仏した数人の弟子+ブッダ自身が仏ということになる。

さらに、阿含経の中では、梵天(ヒンドゥー教のブラフマー神)をはじめ、天の神々が登場し、ブッダを神と同等かそれ以上に敬っている

阿含経の世界に浸っていると、八百万の神の世界と仏教の世界が融合しているような感じがしてくる。

この点で、日本人的にはしっくりくる。

女性の信者

上座部仏教や密教の世界では女人禁制というイメージがあるが、阿含経の世界では、女性にも普通に信教が開かれているようだった。(それでもやや壁があるし、世界が男性原理に傾く時代ではあったが)

また、信教というもののあり方も、現代の仏教と感覚が異なる。

いわばブッダは究極のニヒリストであり、救いを求めれば求めるほどに苦しむのだが、その苦しみの道を歩く過程に意味を見出してもいた。

また、ブッダにとっての仏教の定義とは、『苦難の道を自らゆくという、その姿勢を尊ぶ教え』であるように思う。

そのため、原初仏教は宗教であるのだが、どちらというと求道者の道という感じの方が強い

本来の仏教とは、孤独と疑いに包まれた哲学の道なのだ。

ブッダの骨の争奪戦

ブッダを火葬したあと、人々は骨を巡って大戦争を起こそうとする!

そこで、ドーナというバラモンが立ち上がる。

待てや! おまえら、ブッダ様の教えを忘れたんかー! こんな争いをブッダ様が望むと思うかー! 目を覚まさんかー!

一堂ショボーン。
かくして、ドーナの導きにより、公平に骨が配られた。
ここが最後の山場。

まとめ

こんな具合で、阿含経の一部を現代語訳した本書『ブッダの入滅』は、今までの仏教のイメージが変わる、とても興味深いものだった。

諸々の文献によると、漢語訳の阿含経よりも、パーリ語仏典の経蔵五部を読み込んだ方が、より原典に近く、意義があるようだ。
ぜひチャレンジしたい。




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