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kyamanekoです。IT、思想、哲学、心理学などの記事を書いています。

個人情報漏洩させたらこうなった - vol. 24

実録! 個人情報漏洩させたらこうなった

イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……

※本作はフィクションです

 

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vol. 24

 佐川は帰宅しようとする宇佐を見つけた。
 宇佐はバッグを肩にかけ、GRシステムの入ったビルを出るところだった。
 宇佐の勤務は17時半までだった。
「ちょっと用事あるから」
 と加藤と安原に言い残して、佐川は宇佐へ近づいていった。
 宇佐は立ち止まって身構えた。
「佐川、さん……」
「ごめん。いきなり」
「あの、なにか?」
 佐川にとって、宇佐は入り込む隙間がない、岩のような存在だった。
「おつかれさま。びっくりしたよね。こんな事故が起きて」
 佐川は白々しい自分のセリフに呆れた。
「そ、そうですね」
「矢口くんのこと、聞こうと思ってね。宇佐さん、なにか知っていそうだったから。……実は、今回のことに、関係があるかも知れないんだ」
 宇佐は意外そうな表情をした。
「え、今回のことに?」
「ああ。まだ憶測に過ぎないけど。――それに、宇佐さんの情報が、藤野さんを救うことになるかも知れない」
「え、それって、矢口さんが事故と関係しているってことですか?」
「その可能性があるだけだよ」
 宇佐は考え込んだ。やがて、目を細めて言った。
「すみません。やっぱり、失礼します」
 宇佐は駅の方へ歩いていった。
 佐川はどうすることもできず、斜め後ろをついていった。
「頼むよ……。宇佐さん」
 気持ち悪がられているだろうな、などと思いながら、佐川は声をかけた。
 宇佐は無視して歩いていった。
 薄闇の中、駅に近づくほど人が増えた。
 実に多くの人々が行き交っていた。
 若者から年寄りから外国人も。
 顔に生気がある者はまれだった。
 乾燥した風と臭気の中、人々の足音がこだました。
 
 宇佐はスクランブル交差点の赤信号で立ち止まった。
 やがて青になると、人々は歩きはじめた。
 しかし、宇佐はうつむいたままだった。斜陽が横顔に注いでいた。
 そのとき、ふと宇佐は振り向いた。
「悩んでいたんです。あんなプレゼントをもらって……。だから、由加里先輩」
 雑踏の中、佐川は宇佐の話を聞いた。
 それは、こんな話だった。
 
 事故の起こる4か月前の、10月のことだ。
 ある日、残業をしていた由加里は、誕生日だというのに仕事に追われていた。
 やっと仕事を片付けて、帰るときには夜9時を過ぎていた。
 由加里は施錠をして、鍵をセキュリティボックスに入れ、裏口に向かった。
 そこでビルを出たときに、いきなり声がした。
「すみません。あの」
 声の方を見ると、矢口がいた。
「藤野さん。お、お誕生日、おめでとうございます」
 矢口は決死の形相で、プレゼントらしき小箱を差し出してきた。
「いつも、おつかれさまです。たいしたものではないですが……。ほ、ほんの気持ちです」
「え、あ、ありがと」
 由加里はなんだかわからず、勢いに押されてそのプレゼントを受け取った。
 家に帰って開けてみると、ピンクゴールドのチェーンにルビーのトップが付いた、高級そうなペンダントだった。
 翌日の終業間際、由加里はプレゼントを矢口に返した。
『いつか、本当に贈るべき人に、渡してあげて』
 と言い添えた。
 
 佐川はオフィスへと戻った。
 由加里をはじめ、クレームの前線にいたスタッフたちが戻ってきていた。
 仁科は斎藤とメール対応の続きをはじめた。
 緑川は社員たちに前線の凄まじさを意気揚々と語っていた。
 エンジニアたちは、黙々と自分の仕事をしたり、OCOのセキュリティ対策をやったりしていた。
 矢口も真面目な顔で、ディスプレイに向かっていた。
 全員顔色が悪く、緑川以外は無口だった。
 そんな中、とつぜん大島が声を上げた。
「みんな、座ったままでいいから、聞いて欲しい」
 しばし社員はざわめき立ったが、すぐに窓際に立つ大島に、視線が集まった。
 口を開きかけた大島は、言葉につまったようだった。
 なにから喋っていいかわからない、というように。
 それでもやがて、大島は言った。
「……みんな。長い1日だったな。本当に」
 佐川は大島の言葉に共感した。まったくその通りだった。
「まだ、これからだ」
 と、大島は続けた。
「明日も、あさっても、しばらく続く。俺も、これを試練として受け止め、なんとかやっていくつもりだ。みんな」
 そこで大島は息を吸い込むと、
「よろしく頼む」
 そう言って頭を下げた。
 社内は静まり返っていた。
 そのとき、誰かがくしゃみをした。――緑川だった。
 あちこちで、忍び笑いが聞こえてきた。
 大島も笑っているようだった。
 次第にまた社員の話し声が聞こえはじめた。
 仁科と斎藤はメールについて議論し合い、由加里と緑川と小笠原はクレームの内容を整理していた。
 他の社員についても、それぞれできることをやった。
 困難が団結を生むというのは、本当のことだった。
 
 それから1時間もしないうちに、佐川は帰途についた。
 早く帰って休みたかった。
 佐川は生まれてはじめて、1日が24時間で終わることに感謝した。

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