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kyamanekoです。IT、思想、哲学、心理学などの記事を書いています。

個人情報漏洩させたらこうなった - vol. 41

実録! 個人情報漏洩させたらこうなった

イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……

※本作はフィクションです

 

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vol. 41

 応接室の中央には木製のローテーブルが置かれ、両側に3脚ずつの1人がけ用ソファがあった。
 オリモトは奥のソファに座っていた。
 その格好は清潔とは言いがたかった。毛玉がところどころに付いた灰色のトレーナーに、ジーンズを穿いていた。
 縦長の頭に白髪混じりの短髪。黒縁の眼鏡をかけていた。
 オリモトはずっと視線を下に向け、スマートフォンをいじっていた。どうやらなにかのゲームにはまっていた。
 由加里が部屋に入っても一顧だにせず、ゲームに夢中だった。
「大変お待たせいたしました。このたびはご迷惑をおかけしまして、まことに、申し訳ありませんでした。わたくし、本件の担当をさせていただいております、藤野と申します」
 と、由加里は頭を下げた。
 オリモトは手を止めて顔を上げた。じっとりとした視線で由加里の脚や腰、胸元や顔を見回した。
「ほ、本日はご多忙のおり、わざわざご来社いただきまして、恐縮でございます」
 それでもオリモトは黙っていた。
 由加里は向かいのソファに近づき、「それでは、失礼いたします」と、腰を降ろした。
 口を開こうとしないオリモトに、由加里は尋ねた。
「あの、オリモト様、で間違いございませんか?」
 すると、オリモトは神経質そうに口元をピクピクと動かし、「そうですけど」と言った。
 そこで、ノックの音がした。女性社員がお茶を持ってきたのだ。そのとき、由加里は菓子折りくらい用意しておくべきだったと後悔した。――忙しくてそこまで気が回らなかった。
 由加里は内心でうんざりしていた。
 オリモトの問題が炎上すると、また岩倉に文句を言われるだろう。唾を飛ばして文句ばかり言う岩倉の顔が、ふと思い浮かんだ。

 由加里はオリモトに対して、改めて事故の件を詫びてから、本題の話をはじめた。
 その間も、オリモトは喋らなかった。腹の前で組まれた両手には指毛が目立った。
「――オリモト様のパソコンがウイルスに感染し、その影響でメールが無差別に送られた、ということですね。その後、再インストールしようとしても、うまくいかなかった。そのように伺っております」
 すると、オリモトは苛ついたように、指を小刻みに動かしはじめた。目が大きく見開かれた。
「ええ、そうですよ。信用しておたくのサイト使ってたのに、こんなことになって。……ほんと、死にたくなりましたよ! 知人に、おかしなメールをばらまいてる、って教えられたときは」
「申し訳ございません」
 オリモトは口角に泡を溜めて喋り続けた。
「それで、再インストールするだろ? で、それ、終わらねえし。壊れた。壊れちゃたんだよ」
「申し訳ございません」
「だからさ、他にも今回の問題で困ってる人、たくさんいると思うんだよ。で、こっちは、そういう人に声かけて、集団訴訟? やってやろうかと。マジで」
 集団訴訟ともなれば、厄介なことこの上ない。由加里は思わず声を上ずらせた。
「オリモト様。ご納得いただける補償を検討させていただきます。どうか、それは……」
「だったらさ、パソコン代、弁償しろよ。80万。なあ、藤野さん。ところで名刺ねえの? 名刺もらってないんだけど。クレーマーだと思ってナメてんの?」
「申し訳ありません。決してそのようなことは。ただ、名刺は本日切らしておりまして……」
 由加里はDNプランニングの担当者として出ているのだ。さすがにGRシステムの名刺を出すわけにはいかない。
 オリモトは言った。
「で、どうするの? パソコン代。払うの? 払わねえの?」
 由加里は焦った。
「そ、そちらについては、ご利用になられていた機種などをお伝えいただき、算定のうえ……」
 すると、オリモトは手を振り上げて、テーブルを叩いた。
「質問に答えろよ!」
 由加里は短い悲鳴を上げた。
「す、すみませんっ」
 オリモトは立ち上がり、いまにも掴みかかってきそうなほど、身を乗り出してきた。
 首まで真っ赤にして、目を血走らせていた。
 由加里はソファに身をうずめて、縮こまっていた。嫌な汗が首やこめかみに流れた。
「黙ってねえで、すぐに、納得いく答えをしろよ!」
「は、はい。すみません!」

 そのときだった。
 誰かが部屋をノックしたのだ。
 緑川か小笠原か、どちらかだと思った。
 ドアが開いた。
「失礼いたします。オリモト様。わたくし、藤野の上司の、岩倉と申します」
 岩倉はそう言って、深々と頭を下げた。
 由加里は思わず目をみはった。

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