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ユング心理学入門(河合隼雄著)【第六章 アニマ・アニムス】

ユング心理学入門(河合隼雄著)【第六章 アニマ・アニムス】

ユング心理学入門(河合隼雄著)を熟読してみる - 648 blog

というわけで、「<心理療法>コレクションⅠ ユング心理学入門(河合隼雄著)」の「第六章 アニマ・アニムス」を読んでみた。

本章で僕が理解したことを、可能な限り詳述したい。

 

外的順応とペルソナの元型

人間は社会生活の中で、役割ごとに求められる人格というものがある。

  • 父親ならば仕事をして収入を得て、外敵から家族を守る
  • 母親ならば家事をこなし、子育てをする
  • 警官ならば毅然として治安を守る
  • 営業マンならば、愛想よくして製品を売り込む

現代社会では、上記のような社会への順応(外的順応)をしながら生きていかなければならない。それに、こうして外的順応の努力をする僕たちは、まるで仮面をかむって活動しているかのようだ。
ユング心理学では、外的順応を象徴する元型を、「ペルソナ」と呼んでいる。

ペルソナの元型によって生み出される様々な「仮面」は、社会生活を営む上でなくてはならないものだ。
しかし、仮面の力が強すぎると、家庭や友人関係にまで「仕事モード」を持ち込んだり、私生活が仮面に支配されるようになってしまう。

そこで、外的順応と対になる、内的順応についても考える必要がある。

内的順応とソウル

外的順応をしてばかりだと、仕事や役割としての自分に振り回されて、個人的な喜びや安らぎが薄れていってしまう。
そこで、自分自身の内面の満足や成長に目を向ける、内的順応という考え方が出てくる。

ユングは内的順応について説明するために、心を二つの種類に分類した。
ひとつは「psyche(サイケ、プシケー)」であり、一般に言う、いわゆる心全体のことを指す。
もうひとつは「soul(ソウル)」であり、サイケの中にある、自分の分身のことを指す。

本書では、サイケを漢字の「心」。ソウルをひらがなの「こころ」と表記している。本節でもソウルを「こころ」として表記し、自分の内面にある、内的順応の中心を指すことにしたい。

さて、内的順応がうまくいっていないと、一見充実しているようでも、不安や体調不良に襲われることがある。
そこで内的順応をするために、男性ならアニマ(心の中の女性)の心像、女性ならアニムス(心の中の男性)の心像に目を向けることになる。

シャドウとこころ

これまでにシャドウ(影)の元型について触れたが、シャドウは主に、自分と同性の姿をした、受け入れがたい負の存在を象徴している。
その一方で、ソウル=こころの中心であるアニマやアニムスは、異性の姿をとっている。
ペルソナに対する心の矛盾が直接的に現れたものがシャドウで、異性の姿として象徴的に現れるものがアニマやアニムスということになる。

一方で、人間はアニマやアニムスそのものになることも避けなければならない。
あくまで自己は自己であり、シャドウやアニマ・アニムスとはわかれているのだ。

アニマ

アニマは男性のこころに住む、内的順応の中心である。
自分自身が成長することでアニマが成長し、それにともなって自己の統合を進めてゆくことができる。

アニマは通常、繊細さや弱さや女々しさを持っている。これは、一般的な男性が論理性と強さを求められることと、対称的な関係にある。

アニマは男性の成長につれて、以下のような変容を遂げる。

初期段階(母親、母親代理)

男性にとって、自分を育てた母親の像がアニマの基礎となる。
母親から離れはじめた男性は次に、「母親代理」とも言うべき、母親の優しさを受け継ぐ存在を見出す。(近所のお姉さんや親戚のおばさんなど)
とはいえこの段階でも、母親の影響から抜け出しているわけではない。
また、自分の中の女性像についても、甘やかしてくれる母性的なものを求めている段階であると言える。

第一段階(性的なアニマ)

母親からの分離を意味し、生命を生み出す女性に性的な興味を抱く段階だ。
周囲に性的な話をしたり、外見的なセクシーさに強く惹かれたりする。

第二段階(ロマンチックなアニマ)

第一段階の「女性ならだれでもよい」段階から、「ひとりの女性の人格を愛する」段階になった状況。
西洋の文学などでふんだんに扱われてきたような、情熱的な恋愛をする段階だ。

過去の日本においては母や妻を家に縛り付け、女性としての個性を認めなかった。その結果について河合隼雄氏は、「女性の人格を認めなかった歴史があるため、社会での女性像が限定的になっており、日本人男性のアニマは第二段階に達しづらい」としている。

第三段階(霊的なアニマ)

恋愛を超えた段階だ。聖母マリアや美の神ヴィーナスによって示される、霊的な愛の段階である。
母性と乙女の清らかさを持ち合わせた女性像が現れる。

第四段階(叡智のアニマ)

愛すら超越した段階である。仏教の弥勒菩薩によって示される、静かな優しさと叡智を兼ね備えた女性像が現れる。

アニマの統合について

ユングは実際の臨床経験を通して、アニマの発現に上記のような四段階が観られることを述べている。
また、アニマがこの四段階を経ると、ついにアニマは姿を消し、自己の一機能として統合されるのだという。

なお、男性の中のアニマが投影されるのは実際の女性だけではなく、自動車や架空の存在に投影されることもある。

アニムス

ユングの妻であるエンマが、ユングを継いで、女性の心理段階をアニムスとして定義した。

アニムスは女性のこころに住む、内的順応の中心である。
自分自身が成長することでアニムスが成長し、それにともなって自己の統合を進めてゆくことができる。

アニムスが表出するとき、頑固な意見となって飛び出してくることが多い。感情的になった女性が個々の状況に関係なく、一般的な正論を主張するのはアニムスと関連している。

また、アニムスが退行したときに、「理想的な男性と実際のパートナーとのギャップへの怒り」「依存的で非現実的な願望」などという形で現れる。

アニムスは女性の成長につれて、以下のような変容を遂げる。

第一段階(力のアニムス)

男性の肉体的な強靱さやスポーツ能力を持った男性像として表される。現実として、身体能力に優れた外見のよい男性に惹かれる。

第二段階(行為のアニムス)

意思や目的を持った男性像として表される。現実として、力強さや実行力のある男性に惹かれる。

第三段階(言葉のアニムス)

理論的な思考力と発言力を持った男性像として表される。現実として、言葉を使いこなす男性に惹かれる。

第四段階(意味のアニムス)

哲学性や精神的な指導性を持った男性像として表される。

アニムスの統合について

客観性や理論性が求められる現代において、社会で活躍する女性は、第三段階の言葉のアニムスの時代に苦しむことになる。

本質的には女性は理論に基づいて行動するのは苦手なのだが、現代社会の中では理論性が求められるため、本質とは乖離した行動をしなければならなくなる。そこで女性は理論の力(言葉の力)を使って社会に戦いを挑むのだが、どうしても男性に勝つことができず、右往左往してしまう。

(と、端的に書くと差別的に思われそうだが……そんな意図はない)

自己の追求を続ける過程で第四段階に至り、やがて安らぎや精神性に幸福を見出すだろう。

いずれにせよ、アニマ・アニムスの段階が移動する過程は、上昇への一方通行ではなく、行きつ戻りつしながら進んでいくことになる。

複数のアニムス

ユングはアニムスを非常に捉えにくいものとして見て、以下のように言っている。

「私は、女性がアニムスの人格について、はっきりした報告ができるような例は見たことがない」

理由としては、

  • 母を基礎とする男性のアニマに対して、アニムスは心像を特定しづらい
  • アニムス(理想的男性像)というものは非常に多様になる
  • その結果、女性の中に複数のアニムスが同居(二人~数人)することになり、男性よりも複雑な内面を形成する

といったものがあるようだ。
人間の内面を分析するのに特化したユング心理学においてこの状況なのだから、未だに「女性」が解明されていないことにもうなずける。

まとめ

今回はユング心理学入門(河合隼雄著)の「第六章 アニマ・アニムス」を解説した。
第六章を簡単にまとめれば、

「男性の心にはアニマが、女性の心にはアニムスが住み、自己の中心に基礎づけられる日を心待ちにしている」

といったところか。

アニマ・アニムスのあり方は、現代においては意味が変わってきている部分もあるだろう。ユングの自著にも当たりつつ、いずれ近代の心理学者などの考え方なども学び、参考にしていきたい。

それでは引き続き。

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